この社会で、つまずいてしまうのは不思議なことじゃない
最近、なんとなく思うことがあります。
今の時代、普通に生きているだけなのに、
お金のことで苦しくなる人が多すぎないだろうか、ということです。
SNSを見れば、きらきらした暮らしが簡単に流れてきます。
高そうなごはん、きれいな部屋、楽しそうな夜。
本来なら遠いはずの世界が、すぐ隣にあるように見えてしまう。
「いいな」と思うのは、自然な感情だと思います。
そこに、特別な欲深さはありません。
一攫千金の話も、あちこちにあります。
投資、副業、夜の仕事。
どれも「少しだけなら」「試してみるだけなら」と、
とても優しい顔で近づいてきます。
でも、その先にある現実は、あまり語られません。
正直に言うと、僕自身も
「このくらいなら…」「少しの間だけだから…」そう思った選択の積み重ねで、
気づいたときには身動きが取れなくなっていました。
ホストにハマった女性が、気づいたら風俗で働かされている。
よくある話であり、同時に自分とは関係のない、極端な例のようでもある。
でもやっぱり、当事者はごく普通の人なのだ、と僕は思うのです。
真面目に働いて、
少し疲れていて、
少し誰かに必要とされたかっただけ。
昔は、豪遊するのはお金持ちだけでした。
でも今は、分割払いで“体験”できてしまいます。
それが悪いとは言いません。
ただ、戻れなくなる人がいるのも、事実です。
この仕組みを、社会はたぶん知っています。
でも、見て見ぬふりをしているようにも見えます。
経済が回るから、という理由もあるのだと思います。
だから、つまずいてしまった人がいても、
それを「自己責任」で片づけてしまうのは、
少し残酷な気がしています。
ここまで生きづらくなる社会で、
間違った選択をしてしまうことは、
そんなに不思議なことではありません。
少なくとも、
その人が弱かったから、ではないと思うのです。